東京オリンピック日本代表に選出された陸上男子走幅跳・橋岡優輝(はしおか・ゆうき)さん。
そんな橋岡優輝さんは、「陸上競技界のサラブレッド」と呼ばれ、家族も陸上の元有名選手です。
そこで今回は、
- 橋岡優輝さんの家族構成
- 橋岡優輝さんの父親・母親の顔画像や年齢、経歴
- 橋岡優輝さんのいとこや親戚もアスリート
- 橋岡優輝さんの幼少期からの生い立ちや経歴
- 橋岡優輝さんが超イケメンで彼女は?
について調べました。
目次
【顔画像】橋岡優輝の家族構成は3人!父親・母親・いとこや親戚を含めアスリート一族だった!

橋岡優輝さんの家族構成は3人。上画像には母親の妹(叔母)とその夫(叔父)とその息子(甥っ子)が写っています。
- 父親:橋岡利行
- 母親:橋岡直美(旧姓・城島)
- 本人:橋岡優輝
- 叔母:渡邉良子(旧姓・城島)
- 叔父:渡邉大輔
そして、橋岡優輝さんの父方の従兄弟がこちら。

- 従兄:橋岡和樹
- 従弟:橋岡大樹
橋岡優輝さんは、父親、母親、いとこ、親戚を含めアスリート一族のようです。
それでは、1人ずつ詳しく見ていきましょう。
父親は棒高跳の元日本記録保持者

橋岡優輝さんの父親・橋岡利行さんは、1964年1月19日生まれで年齢57歳(2021年7月現在)。
川口工業高校在学中には
1981年に男子棒高跳の埼玉県記録
筑波大学在学中には
1985年から1989年まで「日本陸上競技選手権大会」男子棒高跳で5連覇
1993年、1994年でも優勝し、通算7度優勝
また、1986年に開催された
「かいじ国体」男子棒高跳では、5m55の日本新記録
を樹立しました。

母親はインターハイ3連覇

橋岡優輝さんの母親・橋岡直美さんの旧姓は城島直美さんです。
中学3年生の時には、
「全日本中学校陸上競技選手権大会」三種競技B(走幅跳、砲丸投、100mハードル)で優勝
この時、走幅跳は大会記録を上回り、100mハードルは中学記録を更新しました。
埼玉栄高校在学中には
1984年から3年間、「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)」100mハードルで優勝、1985年は走幅跳も優勝
1986年には、インドネシア・ジャカルタで開催された
「アジアジュニア陸上競技選手権」女子100mハードルで優勝
同年、ソウルで開催された
「第10回アジア競技大会」陸上女子100mハードルで銅メダル獲得

中京大学在学中には
1987年~1989年「日本陸上競技選手権大会」女子100mハードルで入賞
1991年、1992年には優勝、結婚後の1994年にも入賞
女子三段跳でも1993年~1996年で5連覇
という偉業を成し遂げています。
親戚(叔父・叔母)も陸上選手
橋岡優輝さんの母親の妹・渡邉良子さんの旧姓は城島良子さん。
渡邉良子さんの夫で橋岡優輝さんの叔父にあたるのが渡邉大輔さんです。
叔母(母方)は100mハードル選手

橋岡優輝さんの叔母・渡邉良子さんも100mハードルの元選手。
埼玉栄高校在学中には1992年のインターハイで2位
また、姉が優勝した
1992年「日本陸上競技選手権大会」では3位
「アジアジュニア陸上競技選手権」では優勝
姉妹揃って優秀な成績を残しています。
中京大学在学中には
「天皇賜杯第65回 日本学生陸上競技対校選手権大会」でも優勝
しています。
叔父(母方)はシドニーオリンピック走幅跳選手

橋岡優輝さんの叔父・渡邉大輔さんは、
2000年のシドニーオリンピックに男子走幅跳で出場した陸上選手
です。
新潟県出身の渡邉大輔さんは、日本大学卒業後にミズノに所属。
2001年「日本陸上競技選手権大会」走幅跳で優勝
「世界陸上競技選手権大会」に2回出場
現在は、渡邉大輔さんの母校であり、橋岡優輝さんの母校でもある
八王子学園八王子高等学校の体育教諭で、陸上競技部の顧問・監督
をしています。
橋岡優輝さんは、高校時代から叔父・渡邉大輔さんの指導を受けていました。
父方の叔父・叔母も元アスリート
橋岡優輝さんの父親の弟・橋岡和正さんは、
埼玉県立大宮東高校でピッチャーで活躍
していました。
県予選の決勝まで進み、ドラフト候補にも挙がるほどプロ注目選手だったそうです。
橋岡優輝さんの叔父の妻(橋岡優輝さんの叔母)の橋岡深雪さん(旧姓は笹川深雪さん)は、
1983年の「全日本中学校陸上競技選手権大会」200mで優勝
また、橋岡優輝さんの母親とは中学のチームメイトで、女子4×100mのリレーの日本中学記録を出しているようです。
いとこはサッカー選手

橋岡優輝さんの父親の弟夫婦の息子で、橋岡優輝さんのいとことなるのが、サッカー選手の橋岡和樹さんと、橋岡大樹さんです。
従兄・橋岡和樹はリーグベスト11に選出

橋岡和樹さんは、1997年1月20日生まれの24歳(2021年7月現在)。
橋岡優輝さんの2学年上です。
浦和レッズユースから明治大学体育会サッカー部に所属し副主将
大学卒業後、一般企業に勤め、
2019年に関東サッカーリーグ1部の東京23FCに加入
2019年3月には、NPO法人「杉並アヤックスサッカークラブ」のコーチをしており、U12の小学生を教えていたようです。
現在は、
シンガポールプレミアリーグ・アルビレックス新潟シンガポールで2020シーズンのキャプテン
を務めています。
チームはリーグ優勝を果たし、自身はリーグベストイレブンに選出されました。

従弟・橋岡大樹は東京オリンピックU-24日本代表

橋岡大樹さんは、1999年5月17日生まれの22歳(2021年7月現在)。
橋岡優輝さんの1学年下です。
浦和レッズユースから2017年にトップチームの2種登録選手に登録
2018年4月にJ1リーグデビュー
2019年「EAFF E-1サッカー選手権2019」では、20歳にして日本代表
に追加招集され、中国戦に出場し、試合は日本の勝利となりました。

2021年1月、ベルギーリーグ1部のシント・トロイデンVVに期限付きで移籍
そして、
東京オリンピックのU24日本代表
に選ばれ、橋岡優輝さんといとこ同士で東京オリンピックに出場します。

橋岡優輝の幼少期からの生い立ちや高校・大学の経歴は?

ここからは、橋岡優輝さんの幼少期から現在までの生い立ちや経歴を調査していきます。
幼少期~小学校時代
1999年1月23日生まれの橋岡優輝さん。
両親や親戚を含めアスリート一家ということで、幼少期から陸上をしていたのかなと思いましたが、友達よりちょっと足が速いぐらいで、特別運動はせず、塾で勉強していたそうです。
ただ小学生の頃、さいたま市で開かれる100m走などの大会には、従弟の橋岡大樹さんと出場していたとか。

その頃は、どうやら橋岡大樹さんの方が成績が良く、橋岡大樹さんいわく“負けず嫌い”の橋岡優輝さんは悔しく思っていたようです。
中学校時代
さいたま市立岸中学校に入ってから陸上を始めた橋岡優輝さん。
きっかけは、中学になって部活に入らなければならなかったことと、両親が陸上をやっていたことから興味本位で陸上部に入部したそうです。
中学1年生の時には100m走をやり、中学2年生からはハードルをやってみたいと思い、取り組み始めました。
その後、顧問の先生に四種競技を勧められ新人大会で3位に入賞したことで、四種競技や走高跳を始めます。
そして、中学3年生の時(2013年)
「第40回全日本中学陸上競技選手権大会」に四種競技で出場し3位に入賞
これがきっかけとなり、高校でも陸上をしたいと思い進路を決めます。
八王子高校時代

橋岡優輝さんは、中学時代は走高跳をしていましたが、母親の橋岡直美さんがやっていて興味があったことから高校では走幅跳をやりたい!と、叔父・渡邉大輔さんが顧問をする八王子学園八王子高等学校に進学します。
入部後、いざ走幅跳をやろうとしましたが慣れず、なかなか飛ぶ感覚がつかめなかったようです。
感覚がつかめるようになったのは高校1年の冬頃だったとか。
そして、高校2年生で
全国高校総体(インターハイ)に初出場し決勝で7m44を跳び4位に入賞

高校3年生時には、
全国高校総体(インターハイ)で7m75を跳び優勝
いわて国体、日本ジュニア選手権でも優勝し、高校で3冠を達成しました。
日本大学スポーツ科学部時代

橋岡優輝さんは、生活環境を変えないため、大学は自宅から通学できるところを条件に、東京都世田谷区に所在する日本大学スポーツ科学部に進学。
日本大学陸上競技部では、日本大学スポーツ科学部教授で跳躍ブロックコーチを務める森長正樹さんから指導を受けます。

ちなみに、叔父で高校陸上部の顧問・渡邉大輔さんも日大出身だったことから、指導が大きく変わらなかったそうで、高校から大学へと環境が変わっても馴染みやすかったと思われます。
大学1年時には
2017年「日本選手権」男子走幅跳では、8m05を跳び優勝
さらに
「関東インカレ」でも、大会新の自己ベストで優勝
しています。

しかし、大会前の練習時に右脚ハムストリングスの肉離れを起こしてしまい、2017年8月に台北で開催された「ユニバーシアード競技大会」を欠場しています。
秋の大会には出場せず、治療とリハビリに専念。橋岡優輝さんにとって陸上人生初のケガとなりました。
2018年「日本選手権」で前年度に引き続き2連覇
「U20世界陸上競技選手権大会」男子走幅跳で金メダルを獲得

2019年「日本選手権」、「ユニバーシアード ナポリ大会」で優勝
「アジア陸上競技選手権大会」では日本歴代2位となる8m22を跳び、シニアの国際大会で初優勝
「世界陸上ドーハ大会」では8位
に入賞しています。

2020年、大学4年生の橋岡優輝さんにとって最後となる
「第89回日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)」では、8m29で優勝
これは、大会新記録となりました。
コロナの影響で練習ができなかった時には、父親と母親を交互に抱えてスクワットしウエイトトレーニングしていたとか。
ちなみに、父親の橋岡利行さんの身長は182cmもあるんです…すごいパワーですね。
2021年3月には、
「日本室内選手権」で8m19で室内日本記録を22年ぶりに更新
指導を受ける森長正樹さんの記録を12cm更新し、大喜びの橋岡優輝さんがこちらです。

富士通に入社

2021年4月より富士通に入社した橋岡優輝さん。
マネジメント会社「UDN SPORTS」に所属し、引き続き日大で練習をしているそうです。
そして2021年6月
「日本選手権」男子走幅跳で8m36を跳び優勝し、東京オリンピック代表
に決まりました。

橋岡優輝が超イケメン!彼女はいる?「じゅり」の噂も?
橋岡優輝さんは、「超イケメン」「イケメンジャンパー」と注目されています。
橋岡優輝さんの父親・橋岡利行さんの若い頃もイケメンでしたね。

橋岡優輝さんは俳優の横浜流星さんと“似ている”と噂になっています。

そんなイケメンの橋岡優輝さんに彼女がいるのか気になるところですよね。
2021年2月に放送されたトーク番組「僕らの時代」に、橋岡優輝さんと同じく、UDN SPORTSに所属するバドミントン・桃田賢斗選手、短距離走・サニブラウン選手と共演した橋岡優輝さん。

東京オリンピックへの目標などを語りつつ、恋愛話にもなり…。
そんな中、サニブラウン選手が、桃田賢斗選手に彼女がいるか聞くと、
「彼女はいない…これはガチ」
引用:WEBザテレビジョン
と答える桃田賢斗選手。
今度はサニブラウン選手が橋岡優輝さんに
「(彼女)いるもんね?」
引用:WEBザテレビジョン
と聞くと、
「ん?ん?ご想像におまかせします」
引用:WEBザテレビジョン
と橋岡優輝さんは答えたそうです。
この橋岡優輝さんの発言により、ネットでは“彼女を匂わせた”と話題に。
そして2021年5月、SNSに橋岡優輝さんの彼女に関するコメントが投稿されたようです。

このことから、“じゅり”という名前が浮上。この投稿によると、“じゅり”という女性は橋岡優輝さんのファンで、彼女は別にいたようですね。
ただ、SNSでの噂ですので、真相はわかっていません。
橋岡優輝の家族構成・生い立ち・経歴まとめ
今回は、陸上男子走幅跳・橋岡優輝さんの家族や生い立ち・経歴・彼女について調べてきました。
橋岡優輝さんの父親・母親・いとこや親戚を含めアスリート一族ということがわかりました。
また、従弟のプロサッカー選手・橋岡大樹さんとは、いとこ同士で東京オリンピックに出場します。
今後、どんな活躍を見せてくれるのか楽しみですね!
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。