バドミントン女子ダブルス世界ランキング1位の廣田彩花選手。
そんな広田彩花選手を育て上げたご家族にも注目が集まっています。
どうやらご両親も元バドミントン選手だったようです。
そこで今回は
- 廣田彩花さんの家族構成
- 廣田彩花さんの父親・母親・兄弟の名前や年齢、顔画像、職業、エピソード
- 廣田彩花さんの生い立ちや経歴
についてまとめました。
目次
廣田彩花の家族構成は5人!

廣田彩花選手は5人家族です。
- 父親:廣田卓也
- 母親:廣田聡子
- 兄 :名前不明(5歳年上)
- 兄 :廣田拳士(3歳年上)
- 本人:廣田彩花
一人ずつ詳しく見ていきましょう。
【顔画像】廣田彩花の父親は元バドミントン選手で現在は経営者&コーチ!
まずは、廣田彩花選手のお父様についてです。

廣田彩花選手のお父さんの名前は卓也(たくや)さん。
2021年現在56歳になります。
卓也さんは地元の菊水中学校に通っており、バドミントン部に所属。
社会人になってからも「菊水クラブ」というチームを立ち上げ、趣味として続けていたようですね。
そんな卓也さんは、息子2人にもバドミントンをやらせたいと考えていたようなのですが、地元に小学生が所属できるチームがなかったとのことで、自身で「菊水ジュニア」を設立。
兄2人の練習を見ながら、廣田彩花選手も自然とラケットを握るようになったそうです。
【顔画像】広田彩花の母親も元バドミントン選手!

廣田彩花選手のお母さんは聡子(さとこ)さんです。
聡子さんは卓也さんと同じ菊水中学校の同級生ということで、2021年時は56歳の年になります。
聡子さんも元バドミントン選手で中学校時代はバドミントン部に所属。
社会人になってもバドミントンは続け、現在は卓也さんと一緒に菊水ジュニアで小学生にバドミントンを指導しています。
週4回、地元の町民体育館で練習。子どもも50人ぐらいに増えた。基本的には楽しくやるのがモットーだけど、他のチームの練習を見たり、話を聞いたりしてどうやったら強くなるか試行錯誤した。
引用元:西日本スポーツ
地元に小学生が参加できるチームがなかったため、すごく人気が出たようですね!
廣田彩花選手を、現在のすごい選手に育てたのは紛れもなく聡子さんでした。
5歳からバドミントンを始めた廣田彩花選手ですが、最初はラケットを持って遊ぶ程度だったそう。
娘には基本的な動きぐらいしか教えなかった。『小学1年になったら試合に出られるよ』、と乗せて
引用元:西日本スポーツ
いつか試合には出場させようと考えてはいたようですが、ここまですごい選手に成長するとは夢にも思っていなかったそうです。
地元の郡市大会で4年生以下の部に出たらいきなり準優勝。決勝は4年生の子に負けたけど、泣きだした。『ええっ、あなたまだ1年生でしょう!?』と。自分の気持ちを出す活発さはなく、家でおとなしくしている子。負けた悔しさを見せたことに驚いた
小学4年生で初めて熊本県の代表として全九州小学生選手権大会に出場。決勝で鹿児島の4年生に敗れた。試合が終わっても、彩花がしばらく私たちのところに戻ってこない。トイレに行っていたみたいで、泣いていたみたい。同学年の子に負けたのはこれが初めてで、よほど悔しかったのかな
引用元:西日本スポーツ
廣田彩花選手は普段から大人しく、口数も少ない女の子だったようです。
そんな娘にこのような才能があるということと、負けず嫌いな性格をこの時始めた知ったと話していました。
両親がバドミントンに携わっていたからこそ、DNAがしっかり受け継がれていたのでしょう。
【顔画像】廣田彩花の兄弟もバドミントンのコーチ?
廣田彩花選手には兄が2人います。
元々、両親がバドミントンチームを立ち上げたのは息子2人のためということだったので、兄2人とも間違いなくバドミントン経験者でしょう。
5歳年上のお兄さんも元バドミントン選手?
廣田彩花選手の上のお兄さんについての情報は残念ながら見当たらなかったのですが、
廣田彩花選手より5歳年上ということなので2021年時点で31歳ですね。
廣田彩花選手が高校を卒業するまでの間、練習相手になっていたと過去の記事でわかっているのでそれなりの実力者ではないでしょうか。
現在は何をされているのか不明ですが、31歳なので既に結婚されている可能性もあります。
両親と同じように社会人としてバドミントンを続けているかもしれませんし、お子さんがいるようであれば指導しているなんてこともあるかもしれませんね!
3歳年上の兄は体育教師やバドミントンコーチとの噂も!

廣田彩花選手の2番目のお兄さんの名前は「拳士(けんじ)」さん。
廣田彩花選手より3歳年上ということなので29歳になる年ですね。
拳士さんも廣田彩花選手の練習相手になっていたとのこと。
聡子さんが過去記事で拳士さんについて
鹿児島大の教育学部で体育科を専攻していた
引用元:西日本スポーツ
と話していたことから、体育の教師をしているのかなと思っていたのですが、地元の和水町で働いていることがわかりました。
事務局員という肩書なので役場ということなのでしょうか。
また和水町が支援している「クラブなごみ」でバドミントンの指導をしていることもわかっています。

やはりバドミントンに携わっているのですね!
そんな拳士さんは廣田彩花選手が大学進学と実業団で悩んでいた時に背中を押してくれた存在。
女子のピークはすぐやってくる。本気でバドミントンを続けるならすぐ実業団に行った方がいい
引用元:西日本スポーツ
その言葉があったからこそ、現在の廣田彩花選手がいるといっても過言ではないかもしれませんね。
広田彩花の幼少期からの生い立ちや経歴を調査!
ここからは、廣田彩花選手がどのように育ってきてどんな実績を残してきたのかを調査していきます。
幼少期から小学生

5歳の頃から「菊水ジュニア」に所属し、バドミントンを開始した廣田彩花選手。
小学校1年生の時に出場した地方大会の「4年生以下の部」でいきなり準優勝。
決勝では4年生に負けたものの、廣田彩花選手が小学校4年生の時には熊本県代表として全九州小学生選手権に出場し準優勝しています。
中学校
中学校は両親と同じ菊水中学校へ進学。
バドミントン部へ所属し、部活動が終了してからは菊水ジュニアでも練習を行っていたそうです。
廣田彩花選手は中学入学まではダブルスを組める相手がいなかったのですが、中学校でダブルスを組むようになります。
中学2年生の2008年、全日本ジュニアダブルスで準優勝。
その時にバドミントンに対する自信がついたと話されていました。
高校

中学卒業後、私立の女子校の玉名女子高校に進学。
「3時のヒロイン」のゆめっちさんと同級生だそうで、「女芸人NO.1決定戦」で優勝した際にはTwitterで祝福されていました。
ゆめっちおめでと〜😊
高校の同級生の活躍は刺激になる!
自分もツアーファイナル頑張るぞ! https://t.co/6X9QiXiD8P— 廣田彩花/バドミントン選手 (@0801SH12) December 9, 2019
中学校時代からバドミントンで活躍していた廣田彩花選手なので、県外の高校からの勧誘もあったそうです。
それをあえて地元の高校に進んだ気持ちを過去に語ってくれていました。

親は自分が決めたことは何も言わず、応援してくれた。自分は自分で『県で1番になる』という目標を持って高校に入りました
引用元:The Answer
もともと慎重な性格であるがゆえの決断だったのでしょうね。
また、
実家はやっぱり落ち着く場所なので。練習がキツかったとしても、母のごはんを食べられたり、家でゆっくりできる時間があったりしたので、気持ち的には他の寮生よりは余裕が持てていたと思います
引用元:The Answer
県外を出て強い学校で競技するよりも、自分のペースで落ち着ける環境のもとバドミントンを続ける方が廣田彩花選手には合っていたようですね。
高校2年生だった2011年には全日本ジュニア選手権大会ダブルスで2位。
インターハイシングルスで8強、団体16強という成績を残しています。
ちなみにインターハイで負けた相手は後にペアを組むことになる1学年上の福島由紀選手でした。
高校3年生の2013年にはインターハイシングルで8強、ダブルス16強の記録を作り出していますが、
常に福島由紀選手がそびえ立っていたため、頂点に立つことはできなかったそうです。
現在

高校卒業後は、大学へ進学せず地元の実業団ルネサンステクノロジーに入社。
そこで、常にライバルだった福島由紀選手とチームメイトになります。
2014年の国体で福島由紀さんらと熊本県代表として出場し、初めて優勝を経験しました。
2015年に再春館製薬に移籍し、この年から福島由紀選手とダブルスを組みコンビで頭角を現すようになったとのこと。
同年、スコットランドオープンでは、初めて国際大会で優勝。

2017年にはスーパーシリーズのマレーシアオープンのダブルスでも優勝を飾っています。
さらに、2020年3月には全英オープンでも優勝しました。
廣田彩花の家族構成や生い立ち・経歴まとめ
今回はバドミントン・廣田彩花選手の家族について調査してきました。
両親のDNAをしっかり受け継ぎ、大人しかった少女が世界に通用する素晴らしい選手に成長したことは、家族みんなの喜びでもあるのではないでしょうか。
福島由紀選手とペアを組んだことにより、さらに実力をアップさせている廣田彩花選手。
今後の活躍からも目が離せませんね!