女子卓球選手の伊藤美誠さん。
東京五輪では強国中国を破り、見事金メダルを獲得しましたね!
そんな伊藤美誠さんを育て上げたご両親や家族はどのような方たちなのでしょうか。
調べてみると、伊藤美誠さんの生い立ちはなかなか壮絶であったことがわかりました。
この記事では
- 伊藤美誠さんのプロフィール&経歴
- 伊藤美誠さんの家族構成(父親・母親・兄弟)や生い立ち
- 伊藤美誠さんの家族との壮絶なエピソード
についてまとめています。
目次
伊藤美誠のwikiプロフィール&経歴!

- 名前 伊藤美誠(いとう みま)
- 生年月日 2000年10月21日
- 年齢 20歳(2021年6月時点)
- 生誕地 静岡県磐田市
- 居住地 阪府大阪市此花区
- 血液型 O型
- 身長 152cm
- 体重 45kg
伊藤美誠の経歴
幼少期〜小学校時代
静岡県磐田市で生まれた伊藤美誠さんは、元卓球選手である両親の影響で2歳の頃に卓球を始めました。

4歳の頃には、後の日本男子のエース水谷隼の父親が代表を務める「豊田町卓球スポーツ少年団」に入り、本格的に卓球を学びます。

2005年、4歳の時に全日本卓球選手権の小2以下を対象とするバンビの部に初出場。
2008年、7歳の頃にはバンビの部で優勝し、2010年(9歳)の頃には小4以下を対象とするカブの部で優勝しています。

幼い頃から卓球の実力は確かなものだったようです。
2011年1月には10歳2ヶ月で出場した全日本卓球選手権で初勝利を果たしました。
10歳2ヶ月での勝利は、福原愛さんが持っていた史上最年少勝利記録を塗り替えています。
中学時代
伊藤美誠さんは磐田市立磐田北小学校を卒業後、中学進学に伴い磐田市から大阪市に移住。
大阪にある昇陽中学校に入学しました。
卓球の拠点も当時の女子日本代表監督である村上恭和さんが設立した関西卓球アカデミーに移し、
2014年に行われたITTFワールドツアードイツオープンでは、平野美宇選手と女子ダブルスで最年少優勝を記録。
2人の合計年齢(27歳145日)が史上最年少記録としてギネス世界記録に認定されました。

更に2015年にはワールドツアーシングルスで初優勝。
14歳152日でのシングルス優勝は史上最年少記録となり、こちらもギネス世界記録に認定されています。
高校時代
その後は大阪にある昇陽高校に入学した伊藤美誠さん。

高校1年生の時に行われた2016年のリオデジャネイロ五輪では、女子団体で銅メダルを獲得しました。

15歳300日でのメダル獲得は卓球競技史上最年少記録。
2018年の世界選手権団体戦ハルムスタッド大会では、チームは1-3で中国に敗れ銀メダルであったものの、伊藤美誠さん自身は8戦全勝で大会を終え、同大会の最優秀選手賞を受賞しています。
高校卒業後
高校卒業後は大学には進学せず、卓球に専念している伊藤美誠さん。
2019年1月の全日本選手権大会では、女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルスで女子史上初となる2年連続3冠を達成し、
2020年1月には、東京五輪のシングルス・混合ダブルス・団体戦の日本代表候補選手に選出されました。
【顔画像】伊藤美誠の家族構成は3人で兄弟なし!父親は離婚後に自己破産していた!【エピソード】

元卓球選手である両親の影響で2歳の頃に卓球を始めたという伊藤美誠さんですが、どのようなご両親なのでしょう?また、兄弟はいるのでしょうか?
結果から伝えると、伊藤美誠さんは1人っ子で兄弟はいません。
お父さんは1975年ごろに生まれ、一般企業のサラリーマンとして仕事をしています。
物静かな方なのだとか。
残念ながら顔画像は出回っていませんでした。
伊藤美誠さん一家は元々横浜に住んでいましたが、2歳の時に卓球に興味を持った伊藤美誠さんに卓球を教える為に、
わざわざ、2005年頃奥さんの地元である静岡県磐田市に自宅を新築し、新しい生活をスタートさせています。

なぜそこまでしたかと言うと、当時横浜で住んでいた家は狭く、卓球台を置くスペースが無かったため。
新しく建てた家は2000万円を借りて建てた木造2階建てで、広さは100平方メートルあり
家の1階にはメーカーから提供された卓球マシンが置かれ、伊藤美誠さんはそこで毎日卓球の練習をしていたそうです。

その後2011~2012年ごろに両親が離婚すると同時に、お父さんは家を出て名古屋に住み始めました。
その頃既には伊藤美誠さんが卓球で実績を残していたこともあり、お父さんは卓球用品の専門店で働くことに。
しかし離婚から1.2年経った2013年の夏頃、実はお父さんは自己破産してしまいます。
自己破産の原因は、離婚後も継続してお父さんが負担していた住宅ローンが払えなくなってしまったからなのだとか。
でも親子関係は良好で、お父さんは伊藤美誠さんの試合を観に来ることもあるといいます。

【顔画像】伊藤美誠の母親はスパルタコーチ!壮絶なエピソードも
伊藤美誠の母親は元卓球選手!

伊藤美誠さんのお母さんは伊藤美乃りさんです。
1975年12月17日生まれで、45歳です。(2021年6月現在)
お母さんも卓球の経験があり、中学1年生の時から卓球を始めたそうです。
インターハイや全日本学生卓球選手権大会への出場経験もあり、結婚後もクラブチームで卓球を続けていた実力者です。

現在は選手を引退し、日本体育協会認定の上級指導員、公認コーチ資格、整体師の免許取得後、卓球女子日本代表のコーチを務めています。
そんなお母さんに伊藤美誠さんは幼少期から卓球を習っていたのですが、4歳の頃から1日7時間以上卓球のスパルタ練習をしていたそうです。

自宅にある卓球台で猛特訓し、卓球台から離れる時間はお手洗いとご飯の時だけでした。
更に、試合に負けると1〜2時間のお説教が毎回あるのだとか。
まだまだ遊びたい盛りの子供には、かなりキツかったのではないでしょうか?
胎教で卓球を実況中継
実は伊藤美誠さんが生まれる前からスパルタ練習は密かに始まっていて、トイレットペーパーをメガホン代わりにお腹に向かって
「カットマンはとにかく拾ってくるから我慢して粘って迫るのよ」
と卓球のアドバイスをしていたそうです。
また、卓球の試合をお腹に向けて実況中継していたという逸話も。
“胎教”として絵本を読み聞かせたり音楽を聞かせたりする人はよくいますが、卓球のアドバイスしていたのはスゴイですね・・・!
2歳から光るものが

0歳の頃から卓球のラケットをかじっていたという伊藤美誠さん。
生まれてからはミルクあげているときにも、卓球の映像をみながら試合の解説もしていたそうです。
そして彼女が生まれ2歳になると自分から「私も卓球やりたい」と言うようになったのだとか。
「やるからには中途半端はダメ」という事を伝えると「それでもやりたい」と言った為、卓球をするようになったそうです。
実際にやらせてみると、あまりにも的確に球を打ち返す娘を見て「自分が卓球やってる場合ではない」と娘の卓球のサポートを命がけでやることを決心したのだとか。
実は当時、母・美乃りさんは代表入りを狙い、自身も毎日練習をこなし、週3回は試合に出場していたそうです。
しかし、娘・美誠さんが卓球する様子を見て、美誠さんが初めてラケットを握ったその日に、引退を決断したと言います。

「やるからには中途半端はダメ」と言った言葉通り、卓球をすると決めた翌日にはもう福原愛選手モデルの子ども用ラケットを買い与えたという、母・美乃りさん。
娘が始めると言い出して、うれしかった反面、本当にやるのかなって。でも自分で言い出したし、それは大事なことなので。すぐラケットを買いに行ったら、美誠はすごく喜んで、自分で名前を書いていました
引用:サンスポ
そこからスパルタの日々が始まることになりました。
スパルタ生活の日々
それからは練習後に「中国選手に勝つ」と耳元ささいたり、持久力を付けるために渡り鳥の生態を研究、俊敏性を取り入れるためにヒョウの動きを研究するなど一風変わったスパルタぶりを発揮していたそうです。
また伊藤美誠さんが転んで膝に怪我をしたときは、「どうして転んだの。卓球の練習ができなくなるでしょ!」と叱責したという逸話も。

しかしただ厳しいだけではなく、練習が終われば普通の母親の顔となり、スキンシップと愛情を全力で注ぐことを大切に育ててきたようです。
伊藤美誠さんがテレビ出演した際には、過去を振り返り「お母さんとの卓球は楽しくなかった。もうあの頃には戻りたくない」と言っていました。
しかし「あの時代があったからメダルが取れた」ともコメントしており、お母さんへの感謝の気持ちもしっかり持っているようですね。

まとめ
伊藤美誠さんがここまでの功績を残す卓球選手に成長したのは、卓球台のある家に引っ越してくれたお父さんの愛情と、お母さんの厳しい練習があったからでしょう。
スパルタ練習のおかげで、どんな状況にも屈しない強いメンタルが鍛えられていったのだと思います。
東京五輪では悲願の金メダルを獲得した伊藤美誠さん。
今後の活躍も楽しみですね!