自民党総裁選に出馬することで、話題になっている岸田文雄さん。
そんな岸田文雄さんがどのような学歴をお持ちなのか、気になる方も多いのではないでしょうか。
調べてみると、中々異色の学歴をお持ちということがわかりました!
今回は、岸田文雄さんの出身小学校・中学校・高校・大学、そして浪人の噂まで
詳しくご紹介していきます!
目次
岸田文雄の学歴!小学校や中学校はどこ?【学生時代のエピソード】
岸田文雄は小学校を3つ跨いでいた?

岸田文雄さんは実は小学生1年生~3年生までの間、父親の仕事の都合でアメリカ合衆国のニューヨークに居住していました。
そのため、小学校1〜3年生まではアメリカの公立学校である、パブリックスクールに通っていました。
アメリカは日本よりも半年早く学校に通うことになるため、下記の2つの学校に通っていたようです。
- 1963年秋~「PS 20」
- 1964年春~「PS 13 Clement C Moore School」
岸田さんはこのとき英語が全く話せない状態だったそうで、身振り手振りなど様々なアクションで周りに溶け込もうと努力していたと語っています。
しかし、最終的には知らない間に英語を話せるようになっていたとのこと。
山本:まあちっちゃかったから、どこまで覚えていらっしゃるかわからないと思うんですけれども。全然言葉も通じないなかで、子供なりに必死になんとかやっていかないとということで。結局、英語は出来るようになったんですよね? その時期。
岸田:まあ、そのなんか、いつの間にかですよね。
引用元:山本一太の「大臣vs大臣」
日本と違い、様々な人種が同じ教室で学ぶアメリカのパブリックスクール。
その中で子どもながらも、人種差別や理不尽なことがまかり通っていたのだとか。
その経験から漠然と政治に関しての意識が強く芽生えたそうなので、幼少期ながら大きな転換期と言えるのではないでしょうか?
実際幼少期の半分を過ごした「PS 13 Clement C Moore School」について調べると、日本では表記されないような情報が載せられていました。


肌の色やジェンダーの割合などは、日本で表記することはほぼないですよね。
こういった日本とアメリカの制度の違いが、岸田さんに政治を意識する出来事になったのは間違えなさそうです。
1965年6月「PS 13 Clement C Moore School」の3年生を終了した岸田さんは、帰国後7月に千代田区立永田町小学校の3年次に転入します。
永田町小学校は1993年に麴町小学校と合併をして、2021年9月現在では「千代田区立麴町小学校」と呼ばれています。
開校したのが1908年なので、実に85年もの間続いた歴史ある学校でした。
岸田さん以外にも数多くの著名人が卒業しています。
- 石原 邦夫氏(元NHK経営委員会委員長 元東京海上ホールディングス会長)
- 瀧 廉太郎氏(作曲家)
- 若宮 健嗣氏(衆議院議員)
他にも20人以上の著名人が卒業しており、由緒ある学校であることが分かりますね。
岸田文雄の中学校は千代田区麴町中学校!

岸田文雄さんは中学校は千代田区麴町中学校に通っていたそうです。

中学生時代は軟式テニス部に入って活動していたとのことで、運動も活発に行う方だったんですね!
麴町中学校は1950年代から名門中学校として名前があがるほどで、エリートを目指すためのルート1つだったとのこと。
当時「千代田区立番町小学校→千代田区立麹町中学校→都立日比谷高校→東京大学(番町→麹町→日比谷→東大)」がエリートコースとされた
引用元:wikipedia
現在は岸田さんが通っていた時代とは逆に、子どもの自由を重視した革新的な教育制度を次々と導入。
令和2年度には越境入学の受け入れを中止するほどの人気ぶりを誇っています。
時代が過ぎても形を変えて尚、名門として名を残しているのは本当にすごい快挙ですよね。
岸田文雄の学歴!出身高校は開成高校!

岸田文雄さんは高校は開成高等学校に通っていました。
開成高等学校といえば、都内トップクラスの学校として有名ですよね。
開成高校の偏差値はなんと78!
最近の有名人だと、東大クイズ王で有名になった水上颯さんも開成高校の出身者です。
開成高等学校と言えば中高一貫の学校ですが、岸田さんは高校からの編入組として入学しています。

開成高等学校の簡単な情報は以下の通りです。
- 設立日 1871年
- 男子校
- 所在地 東京都荒川区西日暮里4丁目2番4号
- 校風 質実剛健
- 校章由来 ペンは剣よりも強し

初代校長は元総理大臣の高橋是清ということで、政治家を志すならピッタリといった気がしますね。

岸田さんは高校の頃はテニスを辞めて、野球部に所属していたそうですが強豪校というわけではなかったので、あくまで趣味の範疇での活動だったようです。
ちなみに守備位置はショートか、セカンドだったらしいですよ!
岸田さんはこの頃小説家にも憧れを抱いていたそうです。
純文学から大衆小説、少しシュールな感じのものまで幅広く読んでいたそうですが、結局自分で執筆をすることはなく憧れのまま終わってしまったとのこと。
また、音楽活動にも興味を示し、ロック・フォークが流行った時代の影響でギターも始めていたそうです。
岸田さんは芸術活動に興味が強くあることが分かりますね。

卒業後も岸田さんは高校時代の友人関係を大切にしており、「永霞会」の主催者にもなっています。
この会は開成学校のOB官僚が500人以上参加していて、設立趣旨は「開成魂を再確認し、日本の未来について研鑽を磨く場」とのことです。
岸田文雄の学歴!出身大学は早稲田!東大に3回も落ちていたって本当?
岸田文雄さんは早稲田大学出身ですが、実はその前に東京大学を目指して浪人していたことが判明しています。
下記の年表を参考にしてもらえると分かりやすいですが、2浪して3回東大に落ちていました。
- 1966年 開成高校卒業
- 1968年 早稲田大学入学
参考元:wikipedia
元々岸田さんは東京大学の法学部を目指していました。
東京大学と言えば、日本でも最高峰と言われる学校ですし、開成高校に通っていた岸田さんが目指すのは当然の流れに思えます。
しかし結局東京大学への入学は叶わず。

岸田文雄さんは早稲田大学への進学を決意して、早稲田大学法学部に入学しています。
早稲田大学法学部の偏差値は67.5。
それでもかなりレベルは高いですね。

早稲田大学に入った後は勉強に勤しんだと思いきや、わりと遊び惚けていたというお茶目な一面も持ち合わせています。
結構、日本国内旅行、あんまり海外行かなかったけれど、国内旅行して回ったり。それから、あとはね、今思えばほんと遊んでいたというか。日々色んなことを。友達はいっぱいいたから。あの頃ね、例えばいま国家議員の中でも、岩屋たけし。
引用元:山元一太の大臣VS大臣
岸田さんと言えば穏やかな人柄で敵を作らないと高い評価を得ています。
こういった勉学一本ではない大らかな部分が、政治家の活動にも役立っているのかもしれませんね。
まとめ
今回は岸田文雄さんの学歴についてまとめました。
小学校ではアメリカのパブリックスクールに通ったり、中高通して様々な活動をしてきた岸田文雄さん。
大学も東大には惜しくも敗れてしまいましたが、それでも有能さが伝わる早稲田大学へと入学を果たしていました。
今後の活躍にも期待したいですね!
最後までお読み頂き、ありがとうございました!