Amazon Prime Videoで配信される婚活サバイバル番組「バチェラー・ジャパン」シーズン4のバチェラー・黄皓(こうこう)さん。
16歳で中国から来日し、現在は複数の会社を経営する実業家という黄皓さんの家族や生い立ちが気になりますね。
この記事では
- 黄皓さんの家族構成
- 黄皓さんの父親と母親の顔画像
- 黄皓さんの生い立ち
- 黄皓さんと両親のエピソード
についてまとめています。
目次
【バチェラー4】黄皓の家族構成は4人!

黄皓さんの家族構成は4人です。
父親:黄天霽
母親:冷冰
長男:本人
長女(妹):みき(Miki Huang)
以前、黄皓さんは家族とヨーロッパ旅行に行ったようで、自身のインスタグラムのストーリーに写真がアップされていました。

黄皓さんと父親と母親の3ショット写真です。仲が良いことが伝わってきますね。
ちなみに、14歳年下の妹・みきさんは、現在イギリスの大学に留学中です。

【顔画像】黄皓の父親はイケメン実業家!
まずは、黄皓さんの父親・黄天霽さんについて調べました。
父親の年齢は60代
黄皓さんの父親は、黄皓さんが「バチェロレッテ・ジャパン」に参加した際、エピソード7に登場していました。

黄皓さんの父親は、2017〜2018年頃にインスタグラムのストーリーに登場しており、
その際、黄皓さんが「そろそろ60歳」と父親の写真にコメントしていることから、
2021年現在の年齢は63歳~64歳と推定されます。
パーカーやTシャツなどのラフな服装もお似合いで、さらに若々しく感じられますね!

何と言っても、黄皓さんと顔の雰囲気が似ていてイケメン!
優しさが表情に現われています。
父親は実業家

黄皓さんの父親は、上海に所在する「SHANGHAI TRANSPORT CHINA LOGISTICS INTERNATIONAL CO.,LTD(略称:上海TCL)」の創業者です。
上海TCLは、運送や通関業務をサポートする貿易と物流の会社。
主に、中国で生産しているアパレル企業や繊維商社などの工場から日本の店舗への商品の輸送や通関業務、在庫管理など行っています。
父親が病に倒れ・・・

2018年4月に父親の会社・上海TCLを継いだ黄皓さん。
引き継いだ理由は、父親が病に倒れたから。
黄皓さんは、早稲田大学を卒業後、三菱商事に入社した頃から、将来は父親の会社を「継ぐのかな」とぼんやり考えていたのだとか。
三菱商事での評価は良かったという黄皓さん。
様々なプロジェクトに携わっていき、仕事に余裕が出てきた頃には転職を考えるようになります。

転職のことを上司に伝えると、将来を見据えてメキシコへ行くよう命じられ駐在。
スペイン語の習得も魅力的に感じていた黄皓さんでしたが、携わった仕事の魅力が感じられず・・・。
そこで、将来のために経営学修士(MBA)の勉強を始めようとしたところ、父親が病に倒れます。
父親は黄皓さんに、会社を継ぐことを強制しなかったのですが、ただ、
「お前は何がしたいんだ?」
と、黄皓さんに問いかけたとか。
その半年後、再び父親が倒れたことで、黄皓さんはMBAの取得も考えながらも、父の会社を継ぐことを決意。
じつは、父親の会社は設立してから順風満帆だったというワケではなく、黄皓さんが大学に通っている頃、倒産寸前になっていたんです。
しかし当時、日本の大学に通っていた黄皓さんに、そんな素振りは一切見せなかった父親。

日本で不自由ない贅沢な生活を送っていた黄皓さんは、後に事実を知り、父親が長年守ってきた会社を引き継いで、当時の恩返しをしたいと考えたようです。
【顔画像】黄皓の母親はスレンダー美人!日本の第一線で働くバリキャリ女性だった!
次に、黄皓さんの母親について調べました。
母親はスレンダー美人
黄皓さんのインスタグラムには、母親とのツーショット画像がアップされています。

黄皓さんの父親とは大学の同級生だったそうなので年齢は60代。
若々しくて、スレンダーな美人ですね。
黄皓さんが「バチェロレッテ・ジャパン」に参加した際に登場していました。

母親の名前は冷冰さん。
中国では夫婦別姓の制度が採用されており、子供は一般的に父の苗字を名乗ることから、家族の中では母親だけ苗字が異なります。
母親はバリバリ働くキャリアウーマン

黄皓さんが物心ついた頃から、母親は日本の第一線で働き、同じ会社で働く父親より役職が上でした。
両親が共働きだったため、黄皓さんは小さい頃から鍵っ子だったそうです。
当時の母親は肩パットを入れたファッションをしており、授業参観にもバシッと決めて来てくれて、黄皓さんは子供ながら
「めちゃくちゃかっこいいなぁ」
と思っていたようです。

黄皓さんの母親は、働きながらご飯も作ってくれてる力強いバリキャリ女性だったそうですが、今では、柔らかい雰囲気になっていますね。
日本で肩パットを入れたファッションをしている頃と言えば、80年代から90年代初期のバブル時代。
黄皓さんが小学校入学頃だったと思われます。
その頃から黄皓さんは、家族のために働いてくれているとわかっていたので、両親に構ってほしいと思わなかったそうです。
黄皓の生い立ちが壮絶|両親との温かいエピソードまとめ!
過去には、黄皓さんの両親は日本の中華料理屋で皿洗いをしていたこともあり、
黄皓さんの父親は七転八倒しながら会社を立ち上げ成功させています。
父親が会社を設立したのは2005年8月で、黄皓さんが大学1年生の頃なんです。

ですので、黄皓さんが大学生になる直前までは裕福な生活はしておらず、父親と母親と黄皓さんの3人でワンルームに住んでいたことも。
その頃、両親は黄皓さんに3食おにぎりを食べさせていましたが、自分たちは、1日おにぎりを1食だけ食べるという想像できないような貧乏生活を送っていました。
黄皓さんは、親の仕事の関係で、中学から日本の学校に通っていたそうです。

また、両親が「バチェロレッテ・ジャパン」に出演した際には、流暢な日本語を話していたことが話題になっていました。

黄皓さんの両親は、若い頃に日本で言葉を覚えて、貿易と物流の仕事に活かしていったのかもしれませんね。
そんな苦労を共にしてきた黄皓さん家族には温かいエピソードがいくつかあります。
両親との温かいエピソード①黄皓の名前の由来

黄皓さんの黄は苗字で、名前は「皓」です。
名前の由来は、黄皓さんの誕生日である9月23日、秋分の日から。
秋分の日は、月が高い位置で白く汚れなく輝いています。それを形容した漢字が「皓」です。
黄皓さんが太陽のように人を照らすのでなく、太陽から浴びた光をもっと綺麗に美しく映し出す月のように、人の思いや気持ちを受け取って、それを多くの人に反映させてほしい
という思いが込められています。とても素敵な名前の由来ですよね。
黄皓さんは、自身の名前を気に入っており、自分の子供が生まれたら、
「皓」の字を名前に付けたいほど好きな漢字なんだそうです。
両親との温かいエピソード②両親に愛してもらった

黄皓さんは、16歳から日本に定住しており、両親と離れて暮らす生活を送ってきています。
しかし、「寂しい」とか「孤独さ」や「両親の愛に飢えた」など感じることはなかったのだそう。
それは、両親は時間がない中でも可能な限り黄皓さんに接してくれたことで、信頼関係が作られているから。
黄皓さんは反抗期などなく、悩んだら両親に相談するなどしていました。
両親はそのたび、親としての意見は言うものの、最後には「自身で決めるように」と言ってくれたとか。
そして、黄皓さんがどんな道へ進んだとしても「大丈夫だ」と語り
「おまえが間違った道に進んだとしても、俺たちが後ろにいるから安心しろ」
といつも声をかけてくれていました。そのお陰で黄皓さんは今まで安心して決断することができたそうです。

黄皓さんが成功を掴んだのは、両親が温かく見守ってくれていることも理由のひとつなのでしょう。
両親との温かいエピソード③ラブラブな2人
冒頭でも紹介しましたが、黄皓さんのインスタグラムのストーリーに、家族とのヨーロッパ旅行の楽しそうな写真が多くアップされています。
その写真を見ると、親子が仲良しなことがヒシヒシと伝わってきます。
ただ、仲良しなのは親子だけではないんです。

大学時代にお互い一目惚れしたという父親・黄天霽さんと母親・冷冰さん。
ペアのTシャツを着て、手をつないで、いつもラブラブのようです。
そんな両親の姿を写真に収めて投稿しているところもまた、家族が仲良しな証ですよね。
黄皓の家族&生い立ちまとめ
今回は、黄皓さんの家族(父親と母親)&生い立ちについてまとめました。
過去には日本の中華料理店で皿洗いをしていたという両親。母親は、日本の第一線でバリキャリとして働いていました。
会社を立ち上げるまでは、貧乏生活を余儀なくされ、ワンルームに家族3人で生活していたことも。
会社設立後、一旦は成功しましたが倒産寸前にまでなりかけています。
しかし会社の危機について、当時は聞いておらず、贅沢をさせてもらっていた黄皓さん。
父親が倒れたことから、その時の恩を返すため会社を引き継いでいます。
波乱の人生を共に生き抜いてきた家族の信頼関係の強さが感じられますね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。




