Amazon Prime Videoで配信される人気婚活サバイバル番組「バチェラー・ジャパン」シーズン4に参加する女性メンバーが発表されました。
その中には、インフルエンサーの桑原茉萌(くわばら・まほ)さんも参加。
公開されたインタビュー映像の強気発言が気になる桑原茉萌さんって、どんな人なのでしょうか。
この記事では
- 桑原茉萌さんのwikiプロフィールや経歴
- 桑原茉萌さんはパパ活してた?
- 桑原茉萌さんは何のインフルエンサー?
- 桑原茉萌さんは過去に病気で手術した経験あり
についてまとめています。
目次
【バチェラー4】桑原茉萌のwikiプロフィール&経歴!パパ活してたって本当?
まずは、桑原茉萌さんのプロフィールから見ていきます。
桑原茉萌のwikiプロフィール

名前:桑原茉萌(くわばら・まほ)
ニックネーム:シンディ
生年月日:1997年6月19日
年齢:24歳(2021年10月現在)
身長:158cm
出身地:宮城県
職業:インフルエンサー
宮城県出身の桑原茉萌さんは、幼少期から埼玉県の岩槻付近で過ごしていたようで、自身のYouTubeチャンネルで埼玉県の東岩槻駅近くにあるラーメン屋を紹介していました。

その際に東岩槻駅付近を「地元」と語っていたり、ラーメン屋には「幼少期から通っている」と明かしており、小さい頃からこの辺りに住んでいたと思われます。
桑原茉萌の経歴①バスガイド

埼玉県内の高校卒業後、
- 変化のある仕事がしたい
- 人の記憶に残りたい
という理由からバスガイドとして働いた桑原茉萌さん。

写真の桑原茉萌さん、とても素敵な笑顔をしていますね。
バスガイドは、想像以上に厳しかったと思いますが、とてもやりがいを感じていたのかもしれません。
しかし、バスガイドは覚えることが多く、毎日2~3時間しか寝る時間が作れず、ハードな日々を過ごした結果、体調を崩し1年で退職しています。
桑原茉萌の経歴②歯科助手

次に働いた業種は歯科助手。歯科助手は、歯科衛生士とは違い資格は必須ではありません。
歯科医院での受付や会計、器具の準備や診療の介助など、歯科医師のサポート全般をします。
桑原茉萌さんがどのくらいの期間、歯科助手に就いたかは不明ですが、物足りなくなってしまい辞めたようです。
桑原茉萌の経歴③キャバクラ嬢

「せっかく人生一度きりだから夜の仕事も経験してみたい」
引用:ORICON NEWS
そう思った桑原茉萌さん。
歯科助手と並行して、埼玉県大宮のキャバクラで働き始め、入店1年足らずで“大宮NO .1キャバ嬢”と呼ばれるほどになります。
そして2019年1月、新宿へ買い物に行った際、新宿駅で、テレビ東京のバラエティ番組「家、ついて行ってイイですか?」の取材を受けました。

その時、キャバクラ店の客への感謝の気持ちを込めたプレゼントを買い物していたそうで、高級ブランド・エルメスなどのショッピングバッグをたくさん持っていたことから
「お客様ファースト! プロ意識にあふれています」
引用:テレ東プラス
と、番組では桑原茉萌さんを高く評価していました。
桑原茉萌の経歴④ショーダンサー
2019年、桑原茉萌さんは大宮のキャバ嬢時代にスカウトされ、東京都港区六本木にあるショー・クラブ「バーレスク東京」のショーダンサーに転職。

NEWS
ダンス経験はゼロだった桑原茉萌さんですが、入店して1週間でセンターを務める人気ぶりだったようです。
この時に使用していた源氏名が“シンディ”。
”努力は報われることを証明する”というストーリーのディズニー映画「シンデレラ」が大好きだったことから
「シンデレラのように駆け上がっていけたらいいな」
という想いを込めて名付けたそうです。
そして、あっという間に六本木No.1に登り詰めた桑原茉萌さん。当時の給料は月100万円を超えていたとか。
2019年8月には、日本テレビのバラエティ番組「マツコ会議」の取材を受けています。

同年11月に再度、同番組の取材を受けた桑原茉萌さん。
六本木No.1のダンサーになっても毎日深夜にダンスレッスンを受けていることや、楽屋やトイレの掃除もしていることを明かしていました。
また、壊れた衣装もダンサー自身が修理するそうで
「想像していた仕事とは違うなって思ったことは結構ありました」
と、正直な感想を述べつつ、
「応援してくださってるファンの気持ちに応えたい」
と発言。ここでもキャバクラ時代と同様に、お客様ファースト!を貫いている姿が見られました。
2020年11月末、自身のSNSでバーレスク東京を卒業することを報告。
バーレスクとの意見の相違、自分自身の心境の変化、色々なことが重なり前のようにキラキラした自分でステージに立つことはもう出来ないと思いました
引用:桑原茉萌公式インスタグラム
ショーダンサーとして1年8ヵ月ほど活躍していた桑原茉萌さんは、心境の変化からバーレスク東京を退職します。
卒業イベントなどは行わず、突然のことだったようです。
桑原茉萌の経歴⑤インフルエンサー
今回、「バチェラー・ジャパン」シーズン4に参加する女性メンバーとしてインタビュー映像に登場した桑原茉萌さん。
職業は「インフルエンサーやっています」と自己紹介し、

「シンディで呼んでくれるとすごくうれシンディ」
と笑顔で呼びかけていました。
桑原茉萌はパパ活してたの?
そのインタビュー映像で、桑原茉萌さんは色々な男性が貢いでくれていたこと語っており、まるでパパ活でもしていたのか?と思わせる発言をしています。
パパ活とは、男性と食事やデートをし、対価として金銭をもらう活動のこと。
桑原茉萌さんの発言をまとめると、


今までされたアプローチは
- 100万円をいきなり振り込まれる
- 50万~60万円ほどのブランドバッグをくれる
今までアプローチしてきた男性は
- 虎ノ門で会社を設立している
- 地主
- 不動産王
相手の男性は、桑原茉萌さんに必要とされたいから勝手にやっていると強気に発言。
しかし、経歴でも紹介した通り、桑原茉萌さんは、感謝の気持ちを込めたプレゼントを相手に渡したり、応援してくれるファンの気持ちに応える“お客様ファースト”を貫く人柄です。
インタビュー映像で語った男性は、パパ活ではなく、自身を応援してくれる客やファンのことだったのではないでしょうか。
【バチェラー4】桑原茉萌は何のインフルエンサー?

桑原茉萌さんは、自身がインフルエンサーだと公言していましたが、何のインフルエンサーなのでしょうか。
インフルエンサーとは、主にSNSでの情報発信により、世間や人の思考や行動に対して大きな影響を与える人のこと。
桑原茉萌さんは現在、インスタグラム、ツイッター、TikTok、YouTubeチャンネルなど開設しており、フォロワー数は、インスタグラム8.5万人、TikTokが約7.8万人です。
インスタグラムやTikTokを拝見しましたが、現在は人に大きな影響を与えるような“これ”といった情報は発信していないように感じました。
ただ、桑原茉萌さんのツイッターを見たところ、2021年4月にSNSの更新を中止すると報告し、2ヵ月後の6月にSNSを復帰。
7月からはタレント活動をスタートしています。

ネットでも噂されていますが、「バチェラー・ジャパン」シーズン4の撮影が行われたと言われているのがこの時期。
「バチェラー・ジャパン」では、男女共に番組撮影中に携帯の使用禁止というルールがあります。

桑原茉萌さんは、インフルエンサーとして「バチェラー・ジャパン」シーズン4に出演し、撮影終了後にタレント活動を開始したのでは?
小さい頃から芸能界で活躍したい気持ちがあったという桑原茉萌さん。
バーレスク東京時代には、ミュージックビデオやグラビアにも参加しており、テレビやCMにも出演したいと願っていました。
「このお店なら憧れていた世界に近づけるかもって」
引用:ORICON NEWS
バーレスク東京に所属していた頃のインタビューでも語っていた“憧れていた世界”とは、芸能界のことかもしれません。
「バチェラー・ジャパン」シーズン4の放送開始後は、さらに桑原茉萌さんの認知度が増し、タレントとしてもインフルエンサーとしても活躍していくのではないでしょうか。
桑原茉萌の病気とは?過去に手術経験も!
桑原茉萌さんは、高校3年生の夏に卵巣腫瘍の手術をしています。
卵巣腫瘍とは、卵巣は子宮の左右に一つずつあり、通常では2~3cmぐらいの大きさです。ここに発生した腫瘍が卵巣腫瘍であり、大きいものでは30cmを超えることもあります。
引用:公益社団法人 日本産婦人科学会

桑原茉萌さんは、バスガイド時代には定期検診を受けながら仕事を続けていたそうですが、病気が悪化。
腫瘍が20センチ大にまで成長したため、臓器を圧迫して命の危険を感じた桑原茉萌さん。
その時に
「やりたいこといっぱいやって人生を充実させたい」
と、歯科助手を経て、キャバクラ嬢へと転身しました。

とはいっても当初はキャバクラで働くことに抵抗があったとか。
しかし、バスガイド時代の睡眠2~3時間の生活よりもたくさん寝られることや、お酒が苦手だと言えば、無理に飲ませる客もいないことから、身体はバスガイド時代より楽だったそうです。
現在の体調については、特に語られていませんが、SNSなどを見る限り体調不良は感じられませんので、卵巣腫瘍は完治または症状が落ち着いているのではないでしょうか。
無理せず、体調に気をつけて活動していってほしいですね。
桑原茉萌の経歴まとめ
今回は、桑原茉萌さんの経歴についてまとめました。
高校時代に卵巣腫瘍の手術をした桑原茉萌さん。
高校卒業後にバスガイドとして働きますが、病気が悪化し退職し、歯科助手を経て大宮No.1キャバクラ嬢へと登り詰めました。
その後、スカウトされ六本木にあるショー・クラブ「バーレスク東京」のショーダンサーに転職。そこでも六本木No.1の座を射止めています。
2020年11月、1年8ヵ月間やってきたショーダンサーを辞めインフルエンサーとなり、2021年7月よりタレントとして活動をスタート。
今後、桑原茉萌さんがどのような活躍をしていくのか楽しみですね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。