日本卓球界のエースである、プロ卓球選手の水谷隼(みずたに・じゅん)さん。
4度目の出場となる東京オリンピックでは、伊藤美誠(いとう・みま)さんとの混合ダブルスで、金メダルを獲得されました!
卓球の混合ダブルスは新種目であり、日本初・世界初の金メダルということになります。
そんなメダリストの水谷隼さんを支えた家族も気になりますよね。
そこで今回は、水谷隼さんの家族や幼少期からの生い立ち・経歴について調べてみました!
目次
水谷隼の家族構成は5人!

水谷隼さんは、静岡県・磐田(いわた)市の出身。
家族構成は、両親と兄・妹の5人家族です。
- 父親:水谷 信雄さん
- 母親:水谷 万記子さん
- 長男:水谷 雄城さん(兄)
- 次男:水谷 隼さん(本人)
- 長女:水谷 茉央さん(妹)
水谷隼さんは3人兄弟の真ん中ですね。
調べてみたところ、家族全員が卓球経験者の卓球一家でした!
それでは、1人ずつ注目して見ていきましょう。
【顔画像】水谷隼の父親・母親も元卓球選手で現在の職業は?
水谷隼の父親はヤマハ勤務のサラリーマン!
水谷隼さんのお父さんは、水谷信雄(のぶお)さん。
2021年7月現在で61歳です。
写真はこちら。

とても優しそうなお父さんですね!
2017年時点の情報ですが、信雄さんはバイクで有名な「ヤマハ発動機」に勤務するサラリーマンのようです。
「ヤマハ発動機」の本社は、水谷隼さんの実家がある静岡県磐田市にあるので、信雄さんも本社勤務の可能性が高いですね。

61歳ということもありますので、もしかすると現在は退職されているかもしれません。
水谷隼の父親は卓球団体の代表も!
さらに、信雄さんは元卓球選手で、地元に卓球団体の「豊田町卓球スポーツ少年団」を設立し、その代表も務めています。
少年団の設立は、隼さんが5歳の時。
信雄さんは当時、社会人の卓球クラブで活動していましたが、同年代の子を持つ親が多く、また福原愛さんの人気にも影響されて、子供の卓球クラブを作ったのです。

隼さんはすぐに少年団に入り、5歳で卓球を始めました。
ちなみに、後にダブルスを組む伊藤美誠さんも、この少年団で腕を磨きました。
一方、このような経緯で卓球を始めた隼さんは、幼少期から卓球一筋かと思いきや、どうやらそうではないようです。
信雄さんは隼さんに、卓球以外にもいろいろなスポーツを経験させていたのです。
- スキー
- サッカー
- ソフトボール
- 水泳
- 登山
その中で、隼さんが最後まで続けたのが卓球でした。

そんな信雄さんの卓球の指導は、とても厳しいスパルタでした。
当時のことについて、隼さんは次のように語っています。
「怒られた記憶しかない。心の中ではやめたいと思っていた」
「スパルタだったから嫌々でも練習した。絶対に試合に勝って、親を見返してやる気持ちだった」
引用:中日新聞
とても厳しい指導に、内心はやめたいと思っていたという隼さん。
別の取材では、「あの頃には戻りたくない」とまで言っていました。
しかし、その指導があったからこそ、現在の隼さんの活躍があるのでしょうね!

東京オリンピックで金メダルを獲った際には、信雄さんは取材に対して次のように答えています。
「うれしすぎて眠れなかった。うれしい余韻が残っている。」
「小さい頃からオリンピックで金メダルと言っていたので、それを実現できて感無量。」
引用:TBS NEWS
小さい頃からの夢だった金メダルに、とても感動したことでしょう。
幼少期からの厳しい指導が報われた瞬間でもありましたね。

水谷隼の母親は経営者!
水谷隼さんのお母さんは、水谷万記子(まきこ)さん。
2021年7月現在で59歳です。
写真はこちら。

とてもキレイなお母さんですね!
万記子さんは現在、アスリートマネジメント会社「ファルコン」の代表取締役を務めています。
これは2010年に設立された会社で、主に水谷隼さんのマネジメントを務めるとともに、水谷隼さん関連の本やDVD、レトルトカレーなども販売しています。

2010年以前は何をされていたのかは詳しくわかりませんが、専業主婦だった可能性が高そうですね。
水谷隼の母親は卓球団体のコーチも!
さらに、万記子さんも元卓球選手であり、現在は先述の「豊田町卓球スポーツ少年団」のコーチとしても活動しています。
万記子さんは若い頃からスポーツが大好きでしたが、当時は女性アスリートが少ない時代。
スポーツ選手になるという夢すら抱けなかったと言います。
その経験もあり、子供たちには思いっきり好きなスポーツをさせたいと思っていたようです。

そんな万記子さんの指導は、信雄さん同様とても厳しいものでした。
監督の父、コーチの母は絶対的な存在。「はい」と従うしかなかった。
引用:中日新聞
さらに、万記子さんは指導の一環として、隼さんの利き手を右手から左手に矯正したのです。
左利きの方が卓球において有利であるという考えからでした。
結果として、左利きで大活躍する選手に成長した隼さん。
万記子さんの卓球と息子に対する熱意が伝わってきますね!
このように隼さんを育て上げた経験を生かして、地元磐田市では講演会も行われているようです。

是非聞いてみたいですね。
隼さんが東京オリンピックの金メダリストとなった際には、万記子さんは取材に対して次のように答えました。
「こんなに幸せなことはない。感謝しかない」
引用:読売新聞
息子の活躍が本当に誇らしいことでしょうね!

【顔画像】水谷隼の兄弟は兄と妹で元卓球選手!現在の職業は?【エピソード】
水谷隼の兄はコーチ!
水谷隼さんには、お兄さんと妹さんが1人ずついらっしゃいます。
水谷隼さんのお兄さんは、水谷雄城(ゆうき)さん。
2021年7月現在で34歳です。
写真はこちら。

水谷隼さんにとてもよく似ていて、カッコいいですね!
似すぎているため、兄弟で互いに間違われることがとても多いようです。
雄城さんは現在、卓球のコーチとして活動されています。
静岡県卓球協会の公認コーチ一覧に、万記子さんとともに名前が載っています。

先述の「豊田町卓球スポーツ少年団」でも、コーチをされているとのこと。
雄城さんは、隼さんとともに幼少期から卓球をしていました。
現役時代も卓球を続けていたようですが、ヘルニアになってしまったという情報もあり、そのために引退してコーチになったよではないかと言われています。

ちなみに、2021年7月26日、隼さんが東京オリンピックで金メダルを獲った日の夕方、なんと兄の雄城さん夫妻にはお子さんが誕生したとのこと。
弟の金メダルと子供の誕生で、本当に幸せな1日だったのではないでしょうか?
水谷隼の妹も卓球選手!
水谷隼さんの妹さんは、水谷茉央(まお)さん。
2021年7月現在で28歳です。
写真はこちら。

目元などはお母さんにそっくりで、かわいいですね!
茉央さんは、2018年時点では「磐田信用金庫」に所属する選手として活動していたことが確認できます。
現在は詳しくわかりませんでしたが、「磐田信用金庫」で働いている可能性が高そうです。
茉央さんが卓球を始めたのも幼少期から。
「家族全員が卓球をやっているから」という理由で始めたようです。
卓球の強豪・浜松商業高校で腕を磨いた後、大学は中央大学へと進みます。
大学時代は卓球部の主将も務めるなど、卓球の腕はかなりのものだったようです。

リオデジャネイロオリンピック後の取材では、満面の笑みで次のように語っていました。
大事なところで卓球の神様が兄の方を向いてくれた。兄を尊敬します!
引用:朝日新聞
世界で活躍する兄を、とても尊敬しているのですね!
東京オリンピックでの金メダルも、本当に嬉しかったことと思います。
水谷隼の幼少期からの生い立ちや経歴を調査!
最後に、水谷隼さんの生い立ちや経歴を紹介します!
- 名前:水谷 隼(みずたに・じゅん)
- 生年月日:1989年6月9日(2021年7月現在32歳)
- 出身地:静岡県磐田市
- 身長:172㎝
- 体重:63㎏
- 血液型:B型
水谷隼さんが卓球を始めたのは、5歳の時。
両親が設立した「豊田町卓球スポーツ少年団」に入り、卓球人生をスタートさせました。
先述のように、幼少期はサッカーやソフトボール、水泳など、いろいろな習い事をしていました。
その中で、最後まで続けたのが卓球でした。
早くも小学1年生で頭角を現し、全日本卓球選手権バンビの部で準優勝しています。

その後も着々と実力を付けていった水谷隼さん。
小学校までは、地元である静岡県磐田市の学校に通っていましたが、中学・高校は青森県の私立高校である青森山田中学・高校へと進みました。
この学校は福原愛さんなども輩出している卓球の強豪校で、練習環境を考えて12歳で家を出たのです。
中学2年生の時には、全日本卓球選手権ジュニアの部で史上最年少優勝。
さらに日本代表の強化選手にも選ばれ、ドイツ留学も経験しています。中学生での代表入りも史上初です。

高校に上がってからは、国内の同世代では敵なしの状態となり、国際大会にも出場するようになります。
高校1年生の時、史上最年少で世界選手権の代表に選出されます。
さらに、高校時代は再びドイツに長期滞在し、卓球の腕を磨きました。

その後、スポーツ推薦で明治大学へと進学。
明治大学の卓球部も強豪で、水谷隼さんも入部しました。
大学1年生の2008年、北京オリンピックの日本代表に選出され、初のオリンピックで団体5位に入賞します。

大学卒業後は「スヴェンソン」と所属契約を結び、活動していきます。
その後も日本卓球界のエースとして活躍を続け、3度目の出場となる2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、シングルスで銅メダルを獲得。
シングルスでのメダル獲得は日本人初という快挙でした。

さらに、4度目の出場となる東京オリンピックでは、同郷の伊藤美誠さんとの混合ダブルスで金メダルを獲得。
自身にとって初のオリンピック金メダルであるほか、新種目であることから、日本初・世界初の金メダルとなりました。
東京オリンピックを機に引退することを公言していましたが、今後の動向が注目されています。

水谷隼の家族構成・生い立ちまとめ
今回は、水谷隼さんの家族や生い立ちを調べてきました。
両親は自ら卓球団体を作るほどの卓球好きで、幼少期から隼さんをスパルタ指導していました。
また、兄と妹も卓球経験者で、兄はコーチとして活動、妹は大学でエースを務めたこともあるなど、みんな優秀な卓球選手でした。
両親の指導をはじめ、家族の支えを糧に一流の卓球選手に成長した水谷隼さん。
東京オリンピックでの金メダルは、本人も家族も本当に嬉しかったでしょうね!
今後どのように活動されていくのか、注目していきましょう!