バドミントン日本代表の奥原希望選手。
笑顔が素敵な選手ですが、競技中の真剣な顔はとてもかっこいいですよね!
そんなすごい選手を育てたご家族にも注目が集まっています。
どうやらお兄さんはお医者さんだとか!?
そこで今回は
- 奥原希望さんの家族構成
- 奥原希望さんの父親・母親・兄弟の名前や年齢、顔画像、職業、エピソード
- 奥原希望さんの幼少期からの生い立ちや経歴
についてまとめました。
目次
奥原希望の家族構成は5人!

奥原希望選手は5人家族です。
- 父:奥原圭永さん
- 母:奥原秀子さん
- 姉:奥原未來さん
- 兄:奥原大生さん
- 本人:奥原希望さん
お兄さんの大生さんは超難関校の自治歯科大学に進学。
姉の未來さんは歌手活動の経験もあるアーティストなど才能豊かな奥原家。
それぞれの家族を詳しく調査していきましょう。
【顔画像】奥原希望の父親と母親は元教師!【エピソード】
まずは奥原希望選手のお父さんとお母さんについて調査していきます。
両親ともに教師だったようです。
父は奥原圭永でバドミントン部の顧問だった!

奥原希望選手のお父さんは奥原圭永(おくはら きよなが)さん。
2019年の新聞記事では60歳と紹介されているので2021年現在は62歳か63歳と思われます。
圭永さんは、元高校教師で長野県の大町北高校や松本筑摩高校に勤めていたそうです。
高校では物理を教えておられ、大町北高校ではバトミントン部の顧問をしていたとのこと。
かなりスパルタ顧問として有名だったみたいなのですが、実はバトミントンは全くの初心者だったという圭永さん。
初心者なのにバドミントン部の顧問になったのは、元々やっていたスキーが夏場に練習がないということがきっかけだったとのことです。
バドミントン初心者なのに、奥原希望選手をここまでの選手にするなんてすごいですよね!
圭永さんがバドミントン部の顧問をしたことをきっかけに奥原希望選手も小学生の頃から高校生に交じって練習に明け暮れていました。
小1だった私は、父に付いていく形で、土日の部活にお邪魔していました。そこから興味を持ち、兄も始めたいということで、家族一緒に始めることになりました
引用元:BIG
そこから奥原希望選手のバドミントン生活が開始します。
「ただいま」を言うのは、圭永さんが勤めた高校の物理準備室。そこで宿題や仮眠を済ませ、同高バドミントン部と奥原家4人が午後9時まで汗を流した。お風呂に入って夜食を取り、消灯は10時というストイックな生活。当時の身長は1メートル40ほど。
引用元:スポニチ
圭永さんは「1日2000球」というノルマを奥原希望選手に設定し、1日4~6時間の練習を中学生にあがるまでしていたそうです。
厳しい練習の中、「本気でやってんのか!」「死ぬ気でやれ!」と怒号が飛ぶこともあったとか。
また、礼儀にも厳しく靴を揃えないで家にあがろうとすれば怒鳴られたそうです。

奥原希望選手が高校に進学する時に、圭永さんはさらに高い目標を設定します。
「1年で埼玉を制し、2年で全国高校生を制し、3年で日本を制す」
かなり厳しい目標だったのですが、奥原家の教えは
「迷ったら厳しい道を行け」
ということでした。
楽な道へ逃げる人間ではなく、厳しい道を突き進んでいくことを幼少期から教えていた圭永さん。
奥原希望選手の強い精神力は圭永さんの厳しい教えによるものだったのですね!
その教えを胸に奥原希望選手は高校へ進学後、圭永さんが掲げた目標を軽く超えてしまうのです。
1年で全国4位、2年で全日本総合優勝、3年で世界ジュニアを制しており、まさに今の奥原希望選手がいるのは圭永さんの存在といっても過言ではないでしょう。
母は秀子で奥原希望を陰ながら支えていた

奥原希望選手のお母さんは奥原秀子(おくはら ひでこ)さんで、圭永さんと同じく高校の教師をされていました。
秀子さんについての詳しい情報は公表されていないのですが、圭永さんと同じ年齢くらいかと思われます。
母・秀子さんは健康面において奥原希望選手を支えてきたようです。
「身長が伸びなかったから、乳製品を飲ませたり、夜10時までに寝かせたりしましたが、なかなか伸びなかったですね。ただ、小さいときから、なんでも自分でやらせるようにしました。たとえば、小学校1年生でスキー場のリフトに乗りたいと言われたときも、普通なら親が一緒に乗りますが、あえてどうしたら乗れるか大人に聞くようにさせていました」
引用元:ライブドア
そんな秀子さんの支えもあり、少しのことではへこたれない体作りができたのでしょう。
現在は夫婦で養蜂場を経営!?

現在、圭永さんも秀子さんも定年を迎え教員は引退したと思われます。
そして圭永さんは以前から、定年退職後は奥原希望選手の祖父が経営していた養蜂場を継ぐと言っておられたとのこと。
言葉通りに夫婦で養蜂場を経営されているようです。
ハチミツだけではなく、お米も作っておられるのだとか!

また、このような物も販売されているようです!

さすがバドミントン一家という感じですよね!
奥原希望選手の両親が作っているハチミツはアカシアの花の生ハチミツだそうです。
加熱処理をしていない生ハチミツのため
- 栄養価が高い
- 風味が良い
- エグみが少ない
のが特徴で練習の合間に手軽に口にできるようにという奥原希望選手のアイデアで小分けにされた物も販売されているのだとか。
過去に奥原希望選手自身のTwitterにもハチミツについて投稿されていました。

小さい頃からハチミツを食べて育ったんですね!
私は156㎝と小柄な方なのでフットワークを活かした粘りが身上。きっとこのハチミツがスタミナとスピードの源になったんだと思います。
引用元:リオオリンピック
リオオリンピックにもハチミツを持参したことを明かしています。
【顔画像】奥原希望の兄弟は兄が医者で姉はアーティスト?【エピソード】
奥原希望選手にはお兄さんとお姉さんがいます。
どちらもすごい経歴を持った方のようです!
兄の大生は難関校である自治医大卒の医師!目指したきっかけは妹・奥原希望!

奥原希望選手の兄の名前は奥原大生(おくはら だいき)さんで、年齢など詳しい情報は公表されていません。
大生さんも元バドミントン選手で、高校時代にはインターハイ男子シングルベスト8入りという成績も残しています。
大学時代も栃木県のバドミントン協会の国体予選、男子シングルスに「自治医科大学」所属でエントリーされていたみたいですよ!
バドミントンの実力もすごかったんですね!
そんな大生さんの出身大学は先ほどご紹介した「自治医科大学」です。
医大の中でも医師国家資格99%を誇る那の知れた大学で合格率は全国で1位!
そんな大学に進学した大生さんは秀才ということがわかります。
大生さんが医師を目指したきっかけというのが何と、奥原希望選手のケガだったということです。
奥原希望選手は2013年に左ひざ半月板を損傷し、手術を受けました。
その際、無事復活し活躍する奥原希望選手を見て医療のすばらしさに感動!
自然と医師を目指すようになったとか。
とは言え、なかなか入れるような大学ではないので元々天才的な頭脳を持っていたということになるんでしょうね!
自治医科大学卒業後の情報については公表されていないので、現在何をしているのかわからないのですが、
奥原希望選手のケガがきっかけで医師を目指すようになったということなので、整形外科医とかになっているかもしれません!
姉の未來は元アーティスト?

奥原希望選手のお姉さんは奥原未來さん。
年齢などの詳しい情報は公表されていません。
未來さんも元バドミントン選手!
高校のバドミントン県大会でシングル3位の成績を残しています。
さすがバドミントン一家ですね!
また、「ネア」というアーティスト名でバーなどで歌手活動をしていたという噂があがっています。
実際に歌っている画像や動画などを見たかったのですが、残念ながら情報が出てきませんでした。
バドミントン以外にそれぞれの道をしっかり決め歩んでいる奥原3兄弟は本当にすごいですよね!
奥原希望の幼少期からの生い立ちや経歴を調査!
ここでは奥原希望選手の幼少期の生い立ちや経歴を調査していきます。
小学生時代

父の圭永さんがバドミントン部顧問になったことをきっかけに、小学1年生の頃からバドミントンを始めた奥原希望選手。
厳しい練習を毎日4~6時間行ううちに徐々に才能が開花され始めます。
そして、小学6年生の時には
- ANAアジアユースジャパンU13:優勝
- 全国小学生ABC大会:2位
- 全国小学生バドミントン選手権大会女子シングルス:ベスト8
という成績を残しています。
中学校時代

小学校時代にタイトルをとれなかったことを悔やみ、中学校進学の際には必ず全国タイトルをとることを目標に練習をしていたそうです。
小学生の時から積み上げてきたことを一旦リセットし、基礎からやり直したそうでトレーニング重視の毎日を送っていました。
そして中学1年生の時には
- 全日本ジュニアバドミントン選手権大会新人部門:シングルベスト8
中学2年生の時には
- 全日本ジュニアバドミントン選手権大会新人部門シングルス:優勝
中学3年生の時には
- 全日本ジュニアバドミントン選手権ジュニア部門シングルス:2位
という成績を残しています。
高校時代

中学卒業後は、体育科を設置していることから大宮東高校に進学。
奥原希望選手は埼玉県出身なのですが、中学校時代に大宮東高校で練習をした経験から「ここなら私はもっと強くなれる」と思い長野県の大宮東高校に越境進学することを決めたそうです。
しかし、バドミントン部は強豪というほどではなかったとのこと。
顧問の先生宅に下宿をしながら毎日練習を続けた奥原希望選手。
その努力が実り高校1年生の時には
- 全日本ジュニア選手権:優勝
- インターハイ:3位
- 全日本総合バドミントン選手権大会:ベスト16
2年生の時には
- 全日本ジュニア選手権:優勝
- インターハイ:優勝
- オーストリアインターナショナルチャレンジ:優勝
- ヨネックスオープンジャパン:ベスト16
- カナダオープングランプリ:ベスト4
- 世界ジュニアバドミントン選手権大会:銅メダル
- 全日本総合選手権:優勝
- アジアユースU19選手権:銀メダル
- アジアユースU19混合団体戦:準優勝
- アジアユースU19シングルス:金メダル
全日本総合選手権で優勝した際の年齢は16歳8か月。
これまでの最年少記録は18歳4か月だったので、この優勝で史上最年少バドミントン全日本女王となりました。
また、バドミントン日本代表選手にも選出されています。
実業団時代

高校卒業後は大学に進学することなく実業団の道を選択。
日本ユニシスへ入社後すぐに中国オープンから実践に復帰。
- スーパーシリーズ香港オープン:準優勝
- ヨネックスオープンジャパン:優勝
- 全日本総合選手権:優勝
- スーパーシリーズファイナルズシングルス:優勝
- 全米オープン:優勝
- リオオリンピック:銅メダル
- 2017年世界バドミントン選手権大会:優勝
- ユーバー杯:優勝
- BWFワールドツアー:優勝
現在

2018年に日本ユニシスを退社し、翌年からは個人活動選手として新たに出発。
都内で会見を行った際にはプロフェッショナルバドミントン選手として活動を開始することを正式に発表しました。
2019年1月1日付けで化学メーカーの太陽ホールディングスと所属選手契約を結ぶことも同時報告しています。
その後は
- 世界選手権:準優勝
- ワールドツアー:準優勝
- 全日本総合選手権:優勝
- ワールドツアーファイナル:準優勝
- 全日本総合選手権:優勝
プロ選手として活動を開始してすぐに世界ランキング1位となった奥原希望選手。
高校時代からの快進撃は目を見張るものがありますね!
まとめ
今回は奥原希望選手の家族構成や生い立ち&経歴を調査してきました。
厳しい両親の元、メキメキを実力をつけ才能を開花させた奥原希望選手。
小さい頃から厳しい練習をしてきたからこそ、現在の奥原希望選手の姿があるのではないでしょうか。
今後の活躍も楽しみですね!